千葉から舘山道・富津中央ICで降り、一般道10km 通算70km 1時間15分 予め班長さんに聞いていたので迷わずに着きました。 ガソリン税のお陰で道路はどこも立派です。 |
この集落が関尻で18戸あります。 |
集落の裏山の麓にお堂がありました。 ここで作業が行われるのだそうです。一寸下見をしておきましょう。 |
今日の作業に使う藁が持ち込まれています。 鴨居に掛かっている賞状を見ると昭和16年4月11日付けの 「堆肥一斉積込週間実施成績優秀・・・の賞状」 そのほか村税完納模範などのものが並べてあります。 |
これで驚いてはいけません。 中を覗くと仏像が何体か鎮座まします。 古びた掲示を後で解読すると 「内規阪不動堂御遷座 大正12年9月1日 震災の為堂宇亀裂崩落シタルニヨリ根本堂遷座ス 1 御本尊薬師如来・不動明王・阿弥陀如来 御三体・・・以下略 昭和7年9月1日」 とあります。なんと78年前のものでした。 |
午後一時過ぎ皆さんが集まってきました。 班長さんの挨拶で・・・・ |
銘々が持ち場に分かれて作業を始めます。 |
大きなわらじを三っつ作るので3組に分かれて太い縄作り |
渾身の力を込めて縒りをかけます。 |
こちらでは細い縄造りです・・・・何になるのだろう。 |
太い縄のほうは大分長くなりました。 はみ出した藁を丁寧にはさみで整えます。 |
出来上がった縄を大わらじの芯になるように・・・・ |
配置します。 |
最初のところはベテランが・・・ |
そして藁を組み込んでいくと |
大わらじの形になってきました。 |
こちらは何をしているのだろう? |
大わらじのほうは鼻緒を作り始めます。 |
こちらも何か形になって来ました。 |
杉の葉と木炭があります・・・・何に使うのだろうか |
鼻緒も大分出来てきました。 |
酒樽です。 酒好きの人が作ると大きくなるそうです。 |
大わらじは出来ました。長さ1.5m 巾60cmあります。 これを集落の入り口に掲げ、厄病神が来た時にこの村には こんな大きなわらじをはく巨人がいるぞ!と驚かせて 引き揚げさせるというのです。 |
その時、厄病神を追い返すだけでは後の祟りが怖いので お酒を飲んでいただき機嫌よく帰ってもらいたい。 なんと優しいことでしょう。 また酒樽を縛る縄に「杉の葉」をつけるのは 「この部落は厄病が過ぎ(杉)ました」 「木炭」を付けるのは 「この部落は厄病は済み(炭)ました」という意味があるのだそうです。 |
こちらも出来てきました。 |
酒樽も出来上がりました。 |
大わらじに酒樽を括り付けて出来上がりです。 |
あまった藁はすぐに焼いてきれいにします。 少し冷えてきた身体にありがたい暖かさです。 |
全部出来上がりそれぞれにお酒を飲ませて・・・・・・ |
三つの班に分かれて出かけます。 |
軽自動車に乗せられて |
ポイントの一つ、関尻と上後の境で待ち受けているとやってきました。 |
電柱に登って・・・・ |
出来上がりです。 |
この三叉路には石のお社もあり、いかにも村境の風情があります。 |
もう一つは道路沿いの・・・・ |
木に掛けられていました。 手前には昨年のものが朽ちています |
三つ目は国道沿いにありました。 |
三つの大わらじがセットされ村はこれで安心です。 |
全てが終り皆さんほっとしているところです。 ご苦労さまでした。 |
日本中欲しい関尻大わらじ
これで「関尻の綱つり」が終わりました。
この行事はいつ頃から行われていていたかは分からないそうです。
この地区の隣の地区の人に聞くと、昔は各地区でやっていたが
工場が出来、働きに行く人が多くなり、農業する人が少なくなり
やらなくなったと言っていました。
古いことは分かりませんが、調べてみると
1985年には農家(含兼業)3、187軒、2005年には1、362軒と
57%減少しています。
産業別就労者も一次産業は10%、二次27%、三次63%と
すっかり産業構造が変わっています。
昔のように農家の方々がまとまれば、その地域は
殆んどカバーされる時代から変わってしまっています。
この地域だけの問題ではありませんが
伝統行事の維持・継承は大変難しくなってきているようです。
高齢化と不安定化が進む社会でどうやってコミュニティを守るか?
新しいソフトが必要になっていると感じました。
なおボクのページにある「辻切り」的コンテンツは
次の通りです。
市川市 辻切り |
多古町 蛇祭り |
流山市 大しめ縄行事 |
佐倉市 井野の辻切り |