平成22年10月20日(水)千葉県香取郡東庄(とうのしょう)町 宮本にある、
東大社(とうだいしゃ)において「やぶさめ」が行われました。
氏子の里から奉納された御的に五穀豊穣を祈って矢を射る神事です。
やぶさめといっても馬は出てきません(悪しからず)
千葉市から東関東自動車道で佐原香取IC、356線で銚子方面へ 総距離 76km、1時間半で到着 12:30着 もうすっかり掃き清められています。 |
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東大社略記によれば、 この神社は、十二代景行天皇の御世、皇子ヤマトタケルノミコトが 東国を平定し大和への凱旋の直前伊勢でお亡くなりになったが、 天皇は追慕の念禁じがたく、皇子の御平定の跡を親しく巡幸された。 その時、この地に七日とどまり、東海の鎮護として 一社を営まれたのが創とされている。 千八百数十年前の事となります。 祭神はタマヨリヒメノミコトで神武天皇の御母君となる方とのこと・・・。 |
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やぶさめに先立ち、 今日は東大社奉納射会が行われており・・・・・ |
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沢山の弓道家が集まっています。 | |
女那須与一も凛々しく・・・ | |
これは弓道のスコアカードのようなものです。 一回に二本ずつ射てその結果をこの表に記録します。 当たれば○、二本当たれば◎、外れは/、二本とも外れたら×・・・ 弓道が盛んな土地柄なのでしょう。 |
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さて、 この社殿は本殿は文政10年(1826)、拝殿が翌10年に造営され、 後に昭和31年元の茅葺の屋根をそのまま模して銅板葺きとしたとのこと。 |
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ご神木ケヤキ 幹周 5.3m | ご神木杉 幹周 5.8m 500年 |
氏子の里から御的が続々と奉納されてきます。 | |
午後2時、御的が整いました。 | |
このように13本の御的があります。 | |
午後二時 拝殿で祭礼が始まりました。 騎射装束の若神主が御祓いを受けます。 |
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この額は孝明天皇(1846〜1866在位)の直筆とか | |
若神主今年初登場でやや緊張気味か・・・ 玉串奉奠 |
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この神事は、康和年間(1099〜1104)堀河天皇の時代に 始まったとされており、昔は口取りが引いた馬上から 矢を射ていたそうですが、今は馬もいなくなり、 拝殿の前から射るようになったそうです。 |
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一つの的当たり10本ほどを射ます。 | |
次々と運び込まれますが・・・・ | |
観客の皆さんは、遠巻きにしてあわよくば矢を頂こうと・・・ | |
・・・待っています。 | |
赤い矢を拾うと女の子、白い矢は男の子が授かるといわれています。 | |
小雨がぱらついていますが、皆さんあまり気にしないで熱中しています。 | |
当たりが悪ければ的を近づけたり融通無碍・・・ | |
若神主も大分慣れてきたようです。 | |
もう立派な若大将です。 | |
終った御的は全部拝殿に運び込まれて、御祓いを受けます。 | |
矢が拾えなかった人はここで頂きます。 | |
むしろここちらの方が本命かも・・・・・甘露甘露 | |
御的はそれぞれの里に引き渡され・・・・・ | |
帰ってそれぞれの里で祭られるのでしょう。 | |
鳥居の前の異様な二組の御的を発見!! それっと近づいてみると・・・ |
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的は三枚の板で出来ているのですが、真ん中の板を交換しています。 これは263回目の和解の式なんだそうです。 263年前、馬草刈りの境界について、粟野郷と子南郷に争があり、 幕府の役人の仲立で、仲直りができたことから、 毎年この場所で神主の立会いの下で和解の儀式をしているのだそうです。 |
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それが終ると自分の郷に持って帰ります。 | |
午後三時半 全ての神事が終わりました。 神社はまた静かな姿に戻りました。 |
豊穣に子宝和解神の庭
雨が多少ぱらつきましたが、大した事にはならず
無事に終りました。
何時も思うのですが、経済の発展のために
色々なものをそぎ落として来た日本
成熟の揚句の停滞・・・色々と起こっている
社会問題・・・・
そぎ落としたものの亡霊がじわりじわりと
日本の社会に警告を発しているように思えるのです。
二百何十年も続く和解のセレモニー
これはコミュニティーを大切にしてきた証ではないか
と思います。
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