千葉市から館山自動車道 君津ICで降りて、一般道を南下
合計90キロ 約二時間
八雲神社が複数あり少し迷ったが・・・・
やっと辿り着きました。静かな田園風景です。 | |
村落の入り口に小さな川があります。 | |
橋を渡り村落のほうへ歩むと鎮守の森が見えてきました。 田圃の稲は青々元気よく育っています。日本の風景ですね。 |
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近づくと鳥居、柱に袖のような柱が付く両部鳥居です。 この鳥居は神仏習合の強い神社に見られるそうです。 |
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額もかなり時代めいています。 | |
階段を登ると拝殿前、狛犬が迎えてくれます。 | |
狛犬の起源は古く、インドともエジプトとも言われています。 西に伝播してライオンになり、 東に伝播して日本では獅子・狛(コマは高麗)犬になった。 もともと宮中で御簾の鎮子(おもし)に 使われていた物が次第に大型化し屋外へ置かれるように なったといわれています。 この二匹には五穀豊穣と村内安全と書いてあります。 |
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この神社には古い記録や文書が残っていないので詳細は分からないそうです。 八雲神社はスサノオの有名な歌「八雲立つ・・」に因むもので、 京都の八坂神社が総本山。 平安時代にはインドの祇園精舎の守護神といわれていた 「牛頭天王(ごずてんおう)」とスサノオが習合されて 祇園信仰となっていた。 以来病気退散のために牛頭信仰が広まっていたが 明治の神仏分離により牛頭天王は分離され「八雲神社」となったものらしい。 鳥居の形が「両部」なのも神仏習合の歴史を示しているのだろう。 今日の牛洗いもその流れなのでしょうか。 |
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境内には色々なものがあります。 拝殿の右の方にこのような石祠を発見。 ムラのお嫁さんが安産・子育てのご利益と親睦を目的とした 「子安講」が造立した石塔で、右の像は赤ちゃんを抱いた「子安観音」。 (一般的には江戸時代後期から始まったといわれています) |
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本殿の裏には三猿を刻んだ「庚申塔(こうしんとう)」がありました。 道教では人の体の中には、三尸(さんし)という虫がいて、 六十日に一度巡ってくる庚申の日になると、 天に登り天帝にその人の罪過を告げそれにより寿命が縮むといい、 その日は一晩中起きていれば三尸(さんし)も体から出ることが出来ず 天帝に告げられることも無い・・・と説いているそうです。 そのため「見ざる・聞かざる・言わざる」の 三猿が刻まれているという説があります。 ・・・人間の切実な願いが刻まれています。 |
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本殿内では準備が進んでいます。 |