三番叟の登場です。 三番鳥帽子、紺の千早と袴、背中一面に白鶴が羽を広げた絵柄。 鼻には白粉で鼻筋が引いてあります。いかにも凛々しい出で立ちです |
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いきなり激しい踊りです。 | |
どういう意味か千早の衿には黄土色の布が縫い付けてあります。 | |
力強い舞にしばし見とれる・・・・・ | |
三番叟は古くからこの地区の若者によって受け継がれて 来たが、開発が進み中止されていたそうです。 それを憂いた地元の方々が昭和49年保存会を結成し 復活・伝承に努め、現在に至っているのだそうです。 (因みに空港の開港は昭和53年) |
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現在この地区の戸数は25戸、保存会のメンバーは18人だそうです。 一人前になるには三四年掛かるそうです。 この跳躍などは見事ですね。 |
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黒い面をつけます。 |
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「おうさいおうさい喜びあり わがこの所より外へやらじとほんもう・・・・・」 | |
千歳と三番叟の掛け合いとなる。 三「ありゃめでたや物に心得 後の太夫殿にちょっとげんざん申そう」 千「ちょうどまいって候」 |
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千歳から鈴を貰いここからは鈴と扇で舞います。 鈴は稲穂をイメージしたものだろうか |
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物狂おしく乱舞する感じです。 | |
そして静かに舞い終えます。 | |
全てが終りました。 お疲れ様でした。 |
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大任を果たし記念撮影です。 | |
万灯を貰ってお守りにするのだそうです。 | |
午後三時半、 三々五々家路へ | |
私も貰いました・・・・。 |
飛行機も負けそう取香跳ね踊り
これで僕の見た三番叟はお終いです。
国際空港建設という国家的な大事業の中で
公と私の狭間をそれぞれに埋めてきた人々の
歴史の一端に触れた気がしました。
空港問題が完全に解決された訳ではありませんが
落としどころを見ながら生きてきた皆さんの最後のよりどころが
祖先の文化の伝承にあるのではないかと思われました。
これからも永永と伝承されることを祈りつつ神社を後にしました。
なおこのページの作成に当たり成田市立図書館の蔵書
「成田市史 民俗編」 成田市史編纂委員会(昭和57年3月)
「成田 寺と町の歴史」 小倉博著(昭和63年6月)
を参考にさせて頂きました。有難うございました。
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