取香の三番叟

側高神社

千葉から総武線・京成線に乗り継ぎ、京成成田駅に到着。
約一時間。
徒歩三分で成田市役所へ。
空港関連の税収が大きいせいか、立派な建物です。
ここからコミュニティバスで20分です。
言われたとおり「取香」で降りたが、大きな道路と立派な建物・・・ホテルです。
近くの人に聞いたが分からない。古そうな家を探してやっと分かりました。

ところで「取香」は「とっこう」と読むのだそうです。
最初は「香取」を間違えたのではないかと
思ったのですが、そうではありませんでした。


この語源は
@「トリコ説」・・・古代東国の蝦夷を捉えて虜(トリコ)として収容した地。
A「トリカウ説」・・・大和朝廷時代に鳥を捕獲または飼養する
職業の鳥飼部がいた。

とあるそうですが、因幡国鳥取郷(現鳥取市)、大和国鳥飼郷、
筑後国鳥養郷などからA説が有力との事。
神社は空港第二ビル駅の北に位置し、
新空港自動車道に沿ってありました。
駐車場に囲まれていました。
境内にある碑文によれば、側高神社は
昭和46(1971)年9月、
東関東自動車空港線の建設用地として所有地8866平米を売り渡し

この地に移設整備し、昭和48年(1973)3月遷座祭を齋行した事。
取香有史以来の大事業なるも、区民が一丸となって

神徳の発揚と神社護守を根幹とし、
この国家的施策に協力完成した旨、刻まれています。

先祖から受け継いだ土地に対する愛着が偲ばれます。

境内から南西を望めば空港はすぐ傍です。
 これは新空港自動車道
 
元のところから移設してきたものです。
一番左は「大天狗・小天狗 石尊大権現」と刻んであり、
安政6年(1859)のものです。

一番右は「庚申塔」で、安政5年(1858)とあります。
中の二つは「古峰神社」「金比羅大権現」と
ありました。
 
 ひっきりなしに飛行機が飛び立ちます。
あの飛行機の真下辺りに神社はあったのだそうです。
 
 爆音をよそに幟は、はたはたと春の風と戯れています。
 
 神社から歩いて5分くらいのところに、円勝寺があります。
三番叟の準備をしている所です。

昭和41年に新東京国際空港公団から空港用地として
この地区の四箇所の共有墓地の移転要請があり、ここに移設されものです。

その旨記した石碑の最後には

「吾等が祖霊よ 彼の墳墓の地はわが国の表玄関として
国際親善と文化の交流に寄与するものなれば
吾等を恕し以って久遠の冥福に就かせ給え」

と刻まれていました。
  
 三番叟に使われる面です。
右は翁面、左は三番叟の面です。
 
 下総埴生郡 取香邑 若者世話人 茂吉 佐市 天保11年3月 大工林蔵
 とあります。西暦1840年・・・仁孝天皇、12代将軍家慶の頃です。

三番叟が何時頃から始まったかは記録がないそうですが
この面からは169年経っています。 
 
 皆さん思い思いに準備しています。
 
 外では太鼓と笛の練習です。
「さんぎり」「あんば囃子」「大漁節」などがあるそうですが、
聞いてもよく分かりません。
 
 準備が整いまづは腹ごしらえです。

面だけは歳をとらない三番叟

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