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平成23年12月5日 千葉県君津市清和市場にある諏訪神社で
シシキリマチ(漢字では猪鹿切り祭りと書く)が行われました。
この祭りは「房総のミカリ(御狩祭り)習俗」として
千葉県無形民俗文化財に登録されています。
昔、猪や鹿が多数生息し農作物に害を与えることから、
毎年霜月二十六日(11月26日)から師走五日(12月5日)の10日間、
村人総出で狩猟を行い、獲物を神前に供えて五穀豊穣を
祈願したのが起源とされています。
全国的にも珍しい行事で
千年も続き今に伝えられております。
千葉市から館山道君津IC経由 60km 約50分で到着 折りしも銀杏の黄葉が真っ盛りです。 |
この神社は平安期 嘉祥元年(848)信濃・諏訪大社から 勧請して創建、上社と下社を寄進。 |
これは上社。 祭神は男神で建御名方神(たけみなかたのかみ) 狩猟・農耕・五穀豊穣の神 |
鳥居や手水舎の水盤も彫りは読めないくらい風雪の削られていますが、 狛犬には辛うじて「紀元2600年記念 東京深川 市宿出身 萱野安治郎」と 読めます。市宿はこのすぐ近くです。 昭和15年この近くの出身の方が東京で成功して故郷に錦を 飾ったのであろう。 |
上社に向かい合って百メートル弱ほど離れた所に下諏訪神社があります。 |
こちらの祭神は女神で八坂刀売命(ささかとめのみこと)と言います。 出自は良く分からないようですが、 上社の祭神武御名方命の奥さんです。 境内には四本の斎竹を立て、注連縄が張られ筵を敷いて 斎場の準備は出来ております。 |
午後三時、神主宅へ関係者が集まり始めました。 玄関には今日の準備が出来ています。 肉を入れる桶、杉板の盆、俎板それに 樫の枝木に藤の皮を編んだ肉の入れ物など |
それをアップしてみると、この通りです。 枝が五つに分かれた樫の枝を切り取り、それに藤の皮を 編むように絡めて籠を作ります。 これを裏返すと円錐形の皿状のものが出来るのです。 |
累代祠職石井宮司は11月26日から12月5日まで、 物忌し、朝夕神前で大太鼓や鉦をたたいて神勤します。 午後三時半 神主さんを先頭に出発です。 |
まず上諏訪神社へ入ります。 宮司、総代、社家(後述)、来賓、地区長、青年団の皆さんが続きます。 |
神饌の肉を入れた桶は竹が撓る程です。 |
神饌を神前にお供えして神事・・・・ |
神饌の肉を調理する人は世襲で決まっており 「社家(しゃけ)」と言われており、裃姿で奉仕します。 |
上諏訪神社での神事が終わると・・・・ |
向かいの下諏訪神社へと進みます。 |
下諏訪神社の本殿へ |
祭壇へお供え |
神主の祝詞奏上・・・・・断片的に いけにえ 五穀豊穣 いやさか さきわいたまえ・・・などが聞こえる。 |
愈々斎場へ運ばれます。 |
そこでは裃で居住まい正した社家が待っており |
先祖から伝えられた作法に基づき・・・・ |
調理していきます・・・・・ |
切り分けた肉は先ほどの藤の皮で編んだ籠に乗せて・・・ |
次の人は杉板にそれを載せて |
次へ |
次へとリレーして祭壇へお供えし・・・ |
残った肉は桶のまま祭壇へお供えします。 |
そこで玉櫛奉奠などがあり・・・・・ |
この頃になると境内には一杯の人だかりです・・・・・ |
先ず 餅投げ |
ミカン投げ・・・・・これが終わるといよいよ本番です。 |
いつの間にか祭壇にあった神饌の肉の桶が 境内の斎場へ戻されていて係りの人の・・・ |
蓋を開けるのが待ちきれずに殺到!!! |
あっという間にこのとおり!!! |
この肉を食べると風邪を引かないし・・・・・ |
丈夫になると皆さん喜んで持って帰ります。 |
社家の方も無事に終わりほっとされているようです。 お疲れ様でした。 |
祭事は約一時間・・・・あっという間にもとの静けさに帰りました。 |
ししきりや里の血となり肉となり
以上で僕の見た「ししきりまち」はお仕舞いです。
野生の動物を定期的に駆除して、農作物を守り、
動物性蛋白質の補充にもなり
生活用品の資材ともなる皮革や毛皮の供給・・・・
そして地域の連帯と実に旨くできていると感心する次第です。
現代も異常に繁殖した野生動物が問題になっている地域がありますが
それを地域のB級グルメに仕立てるとか出来るのではないかと思います。
なお、このページの作成にあたり参考にさせてもらった
「房総の祭事」 千葉県神社庁
ぐるり房総
プチたび
に感謝いたします。
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