白子神社

千葉から車で41km 約一時間。
外房の九十九里浜に近いとこころで、海岸まで直線距離で3km。
人口12千人の町です。 
大きな看板ですぐに分かりました。
 県道を入って行くと右手に見えてきました。周囲は田圃です。
 
 参道へ入る手前に妙なものが吊り下げてあります。
 
 近づいてみると稲で作られたものです。
後で聞くと「かけじから(掛け主税)」というもので悪霊を防ぐ意味があるようです。
この形は御神使の亀の甲羅を真似た物だそうです。

 それを通り抜けると鳥居があります。
鳥居には「天保八丁酉歳臘 願主 片岡長兵衛」と
あります。1837年の暮ということでしょう。
 社伝によれば、永承3年(1048)大国主大神を祀りしたのが
白子神社のはじまりとされています。 

その後、大治元年(1126)に、白子海岸の南方沖に
白蛇が白亀の甲羅にわだかまった霊獣が出現いたしました。
(イメージ的には下の画像)

この吉瑞により出現した霊獣こそが玄武
呼ばれるもので、
玄武本来は黒色をしているとされるにもかかわらず、
神の姿の霊獣であることから白色をしていた為
神社の名称が白子神社と定まったとされております。

治承元年(1177)関東の雄 千葉常胤公の祈願所と定められ、
宝永5年(1708)には、正一位の極位に昇られました。

ご眷属(御神使・おつかい)である
南白亀(なばき)さまは健康と長寿
をつかさどり
白蛇さまは財徳福寿をつかさどる霊獣にて
白子大明神さまの御神威の発揚に
更なる霊力を添えているとのこと

現にこの近くに南白亀(なばき)川とか南白亀小学校があります。

 
拝殿の礎石には寄進した人の名前と金額が刻み込まれています。
このお賽銭箱・・・なんと昭和10年・・・・ボクと同い年です。
 この額は殆んど読めませんが、左にかすかに字が残っています。
元禄四年(1691)と読めます。(朱の漆で書かれています)
右の大きな文字は「白子大明神」とかすかに辿れます。
こちらは金箔で装飾されたとのこと。
拝殿には随神像の右大臣、左大臣が安置されています。
拝殿の横の窓はお寺の窓に似ていますね。
 
 本殿には主祭神・大国主命、
配祀神・大日孁大神(おおひるめのおおかみ)・天照大神の別称・・・
それに、月読大神(つきよみのおおかみ)・・・暦の神で農耕神・・・
が祀られています。
 
 段々と子供達も集まってきました。
カメラを向けるとお邪魔虫!と叱られました。

水温む金魚と子らの鬼ごっこ

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