(7月12日)
7月10日八坂神社を発ち、町内を神幸した後、御仮宮に安置されていましたが、 本日12日、正午に発輿祭を行い神幸を継続されます。 神主の祝詞奏上 |
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総代の玉櫛奉奠 | |
御仮宮から神輿が静かに出されます。 | |
棟梁によって鳳凰が付けられ・・・・・ | |
神幸開始です。 | |
神様の二泊三日の旅も最終日です。 | |
稚児さんや | |
獅子を先頭に (先導するおじさんの指の数は太鼓を打つ数のサイン) |
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町内を神幸します | |
砂盛りを作って御神輿を待っています。 坊や達よく見ておくんだぞ・・・ |
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お神酒を準備して待っています。 | |
お神輿が到着 | |
砂盛りの上にピタリと着座 | |
祈願を行い・・・・ | |
お神酒を頂戴し・・・・・ | |
盃は胴巻きにしまい込み・・・・ | |
道々で山車がお神輿をお迎えしています。 | |
「のの字廻し」の行われる交差点です。 | |
夕方5時半警官隊が集合 | |
7時、お神輿が十基の山車の側を神幸 | |
それが終ると「通し砂切」・・・・・段々と日が暮れてきました。 | |
7時過ぎ、いよいよ「のの字廻し」の始まりです。 | |
交差点は立錐の余地もない混みようです。 | |
人が溢れていて例の「のの字廻し」は人が 廻っている感じです。 |
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この鷹は稲藁で作られています。 | |
次々と山車が入ってきます。 囃子と掛け声、観衆のどよめき・・・・・・ |
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警官が声を限りに危険だから後ろへ下がれと叫んでいますが あまり効き目がないようです。 |
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例の山車運転法はうまく行っているようです。 | |
像は能を舞っているように優雅に回転しています。 | |
提灯が揺れると下手だといわれるのだそうです。 | |
漆黒の空をバックに像がまぶしく光っています。 | |
見事な回転です。 | |
交差点へは静々と入ってきます。 | |
そして、まるで油でも引いてあるように滑らかに回転します。 | |
飾り物がなぜ「鯉」なのか、解りません。麦わらで出来ているそうです。 | |
のの字廻しになると観客と担ぎ手は一体になります。 | |
囃しているのは佐原囃子あろうか揃いの扇子で煽っています。 | |
梃子棒の動きがよく分かります。 | |
回転を終えたら「後方懸り」は背で押し続けます。 | |
最後の山車、寺宿の「金時山姥」です。 | |
「後方懸り」の担ぎ棒がよく見えます。 | |
無事にのの字廻りを終えて、交差点から遠ざかっていきます。 八時半です。 |
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お囃子は一刻も休むことなく続けられています。 | |
子供たちも元気に最後の巡行に・・・ | |
それぞれ自分の町へ引き上げです。 | |
やはり小野川のほとりがピタリですね。 | |
これで三日間の大祭は無事に終わりました。 |
やって見せやらせ守った三百年
以上で僕の見た佐原の大祭はお終いです。
規模の大きさとか山車の素晴らしさなど
魅力はたっぷりですが、僕が感心したのは
300年も続けている事実です。
これにはすっかり感服しています。
水運という有力な武器で江戸時代から明治にかけて
商業都市として栄えてきた。
その後、鉄道や自動車輸送の発達で水運の
有利さは減じてきたのであろうが、
歴史に育てられた文化は一向に衰えていない。
文明は移転できるが文化は移転できないという
のを聞いたことがあるが、文化は人の心に根ざしているから
簡単に滅びないのであろう。
沢山の子供や若者が参加しているのを見て
この祭りを支えているのは
心に刻み込まれたDNAであるというのが
僕の結論です。
最後まで見ていただき有難うございました。
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