千倉の三番叟

忽戸・荒磯魚見根神社

その1

千葉から車で100キロ 一時間半 山を背にした細長い町 千倉に着きました。
入り口を見つけ損ない行き過ぎてバック・・・提灯を見つけました。
細い道を山の方へ歩いていくとありました。
   
幟がはためき、日の丸も誇らしげに翻っています。 
 
 この幟がいかににも漁師町の神社ですね。
文字通り音を立ててはためいています。
お社は山の麓を縦に削り、切り土にして作られた平面に建築されています。
あたかも山の懐に抱かれた状態です。

創建は白雉(はくち)年間(孝徳天皇朝の年号650〜654年)に
奈良春日大社から天下泰平・区内安全を祈念し、
以下の三神を勧請したとのこと。

「天児屋根命」(あめのこやねのみこと)
・・・天岩戸の前で祝詞を上げ天照大神の心を
おおいに動かした祝詞の神・・・
「経津主命」(ふつぬしのかみ)・・武神
「比売神」(ひめのかみ)・・主祭神の妻
神社の裏の山に登ると町が一望できます
見えている海は外房の太平洋です。

山の頂近くに国土地理院の四等三角点が埋め込まれていました。
戦争中はここに高射機関砲の陣地が築かれていたそうです。
そのとき切られた桜も植えられいまは「憩いの公園」となっています。


ここから空をにらんでいた若者はどうしたのだろうか。
戦争もそんなに昔のことではないのです。
舞台の準備が進んでいます。
もともと祭例には村歌舞伎が行われていましたが、

その前に三番叟が演じられていたそうです。
そのご歌舞伎は行われなくなりましたが

三番叟だけは演じ続けられているのです。
したがって歌舞伎の舞台で能の三番叟を演じるので

能舞台にある「橋掛り」(能役者が登場する廊下のようなもの)
は無くて歌舞伎の「花道」があります。

舞台から客席の方をみるとこの通り。
山の岩を削って客席を削りだしているのです。

執念が分かりますね。
この三番叟は県指定無形文化財です。
奥の「鏡板」の松は能舞台ですね。

これは昔、能が神社や寺院の屋外で行われたいた頃の名残だそうです。
神社や寺院には神様の降りてくる「影向(ようごう)の松」があったので
それを模しているのだそうです。

松の枝の数については起源は分からないそうですが
奈良の春日神社をかたどったものとも言われているそうです。

枝の数は、江戸時代には江戸城の本丸の松が二十三階(階はかたまりの意味)
だから諸大名はこれを超えてはならないというようなことも
あったそうでうが、明治以来は制約はないそうです。

この松は二十幾つですね。ハハハハ
楽屋では準備の最中です。
少年達は氏子の長男から選ばれた小学校4・5・6年生です。
選ばれた少年は、十五日間別火生活で精進潔斎に勤めると
聞いていましたが今はそうでもないようです。
三人とも町の期待に応えるべく、やや緊張気味です。

荒磯へ眦決し三番叟


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