宮出し

千葉から1時間40分 京成佐倉駅
野暮用で遅れた・・・三時の宮出しに間に合うか・・・・
 
徒歩10分で麻賀多(まかた)神社へ着く 

この神社は今から千年ほど前に作られた「延喜式」の下総の項に
記載されているとのこと。創建はそれより更に遡ります。

祭神は「稚産霊命(わかむすびのみこと)」
「むすび」は形成するを意味し、五穀豊穣を象徴しています。
 
宮出しの儀が行われています。
もう御霊入れは終っているようです。
 
 白丁(はくちょう)姿の担ぎ手達が担ぎ棒にサラシを巻いたりして準備
 
この神社の神輿は、何故か氏子の中でも「鏑木」に住む人達だけが
担げるのだそうです。黒紋付は「世話役」、赤襷は「大世話役」という幹部です。 
 
宮出しを待っている人々 
 
この神輿は享保6年(1721)に、江戸から職人10人を呼び
8ヶ月と360両をかけてつくられたもので、台輪巾1m51cmで
重さ一トン、県下最大級です。 

佐倉市指定文化財です。
 
本体は総漆仕上げ、一部漆蒔絵となっており豪華なものです。

360両を試算してみました。
享保6年当時米一升は80文(4千分の八十両)
今年の新潟コシヒカリ一升762円

計算すると一両は3万8千円、360両は千四百万円となる。
これは大変なものです。
 
先ず神前で揉みます。
麻賀多という聞きなれない社名ですが、次のように伝えられています。
千葉はもともと「麻」の産地であり「総国・ふさのくに」の総は麻を表わす。

この地方に朝廷から国造が派遣されていましたが、
その中に「多」一族の伊都許利命が就任したという記録がある。

その国造が代々祀ってきたのがこの神社であり、
「麻の国で多氏が賀す神の社」

と訓読みすることができるというのです。
鎮座地の「佐倉」も「麻の倉」が転じたものと言われています。
神社を出た神輿は町々を巡幸します。

この町は慶長15年(1610)土井利勝が佐倉藩主となってから
築城から街づくりまで行い江戸の東を守る重要な拠点としたのです。

防衛上、道は狭く、曲がりが多く作られており、
神輿の担ぎ棒は縦棒だけで横棒がないのです。
 町々ではお接待の人々が待っています。
 
 このような道を身をそばだてながら進みます。
 
 赤襷は鏑木青年会の大幹部でこれを5年やると青年会を卒業ということらしいです。
今年は4人の赤襷の内2人が卒業とか。
 
 町々休息 その都度神職が祝詞を上げ・・・・
 
・・・・ 御祓いをして五穀豊穣の感謝と域内の安全を祈願します。
 
 周りの人々が神輿を拝みに集まってきます。
 
 神輿の掛け声は変わっています。
初め聞いたときには・・「みょうじんまつり  さら・・・・(ごちょごちょ)」
で後半が聞き取れない。

訊ねると「明神祭り、さらば久しい」と言っているのだそうです。
耳をそばだてると、「明神祭りサーラバサシ」と聞こえます。

神様久しぶりのお渡りです。どうぞ町の発展の様子をご覧になってください。

というのです。なんと心優しい人々ではないか。
 
 例の掛け声は途切れることはない・・・。
 
 親子もお祭りの装束で神輿を見送っています。
お父さんに見せるためか、ビデオに取っています。
 
 この祭りには麻賀多神社の大神輿以外に、各町から22の山車・屋台・神輿が出ます。
これは屋台といわれるもので、踊り手が舞って神様を迎えるところです。

大神輿が巡幸してきた時にお神酒を奉納することから「御神酒所」と称されます。
今大いに囃して大神輿をお迎えするところです。
 
 大神輿がすぐ側の交差点までやってきました。
 
 このように大神輿の担ぎ棒を「御神酒所」の欄干に掛けてお神酒を奉納しようと
している所です。
 
 お供えを頂戴しますと・・・・
 
 神様も大喜びです。
 
 もう一端の男ですね。
 
 各町の山車や御神酒所には先導する稚児さんがいます。
大神輿を待っているときに一枚・・・ハイッ
 
 表町の祭礼係は陣羽織です。
 
 表町の御神酒所と大神輿のランデブーです。
 
 暮れなずむ空に威勢の良い声が響きます。
 
 下では呼応するように・・・・・・
 
 五時半、休憩。
小さな提灯に火が入りました。
 
  よく見ると字が書いてある・・・聞くと担ぎ手の名前です。
 
 ガソリン満タン
 
これは鏑木(かぶらぎ)町の御神酒所です。
 エッサノコラサ エッサノサ 
かぶらぎかぶらぎ日本一 佐倉の祭りだ エッサノサ
 
 このリズムが子供たちの心に刻み込まれることでしょう。
 
 エッサノコラサエッサノサ
 
 大神輿は「明神祭り さらば久しい」を繰り返しながら町々を練り歩きます。
 
 青年たちが着ているものは「白丁」といわれるものだそうです。

律令制のころ、無位無官の男子を白丁といっていたというから、そのものたちの
粗末な衣装だったのだろうが、今見るとむしろ無垢の神々しさを感じます。
 
野狐台(やっこだい)町の御神酒所
 
 ボクは子供の目ほど美しいものはないと思いますね。
 これは横町の山車です。
山車は上部に人形が飾られているのもを言います。
(今は下げているようですが)
 
 並木町の御神酒所は給油中(?)です。
 
上町の御神酒所
加美町と洒落て書いています。 
 
 踊る方は笑みを見せますが、お囃子のほうは皆大真面目
 
 ボクも応援しています・・・・(おもちゃ屋さんです)
 
 大神輿の巡幸に負けじと各町の御神酒所も町を引き回します。
 
 今夜は、大神輿は町の中に設えられた御仮屋に入られますが、
その入り口には注連縄で区切られた中に砂が盛られています。

神輿を安置する場所に砂を盛ったり、敷いたりするのが各地のお祭りで見られます。
形に多少の違いはありますが、砂を大切に思っている心は共通しているように思えます。

これはボクの勝手な想像ですが、海の向こうからやってきて、日本の砂浜に漂着した
渡来人の遺伝子が、その歴史を再現しているのではないかと想像しています。


意味のないことは残らないと思うのです。
 
 夜も更けてきて、大神輿と御神酒所のコラボは益々盛んです。
 
 大きく砕けたり、はらはらさせながら御仮屋へ近づいて来ました。
 
 御仮屋の前では世話役が待ち受けています。
 
 例の、入り口の砂を踏みしだいて入ってきました。
 
 最後に大きく突き上げを繰り返し・・・・・
 
 大世話役の誘導により
 
 御仮屋に収まりました。
 
大世話役が今日は良い出来であったとコメント。
おめでとうございますと一枚撮らせてもらいました。
 
 完全に収めて
 
 神職の挨拶
 
 これで本日の行事は終わりです。


神様も二泊三日の薮入りへ

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