雷神社御太刀行事

(らいじんじゃおたち)

平成23年6月5日(日) 成田市山口字雷土 の雷(らい)神社で御太刀行事が
行われましたた。その時のメモです。

千葉市から車で北東へ30キロ 約一時間
道路の正面に神社がありました。

朝7時頃に着きましたが、誰もいません。
何の気配もありません。

心配していましたが・・・・
七時半 人が集まってきて掃除を始めました。
やれやれです。
この神社はご祭神は「大雷神(おおいかずちのかみ)」

第34代舒明天皇(601当時)が行幸の途次、
この地を通過した際に山頂の古松より

一つの雷鳴を聞いて天皇これに深く感じ給い、
その古松の下に一祠を建て祀られたという。

以来疫病除けの神として世人に尊敬されたとのこと。
(印旛郡誌)
 
建武の頃、千葉一族の家督争いがあった。
(貞胤さだたね と 胤貞たねさだ)

貞胤が都から落ち延びて、
このお堂にこもって戦っていると、一天俄かにかき曇り

雷鳴がとどろき、追っ手がことごとく落雷に打たれ難を逃れたとのこと。

そのとき貞胤は小剣を寄進したというのです。
(山口区に存在する証明寺縁起)

爾来この村では災難よけ・村の平穏を願って
木の「小剣」を作り雷神に祭り、それを雷神の

印として頂く行事を行ったというのです。
(成田史談 第47号 成田市文化財保護協会 H14年3月)

また人によると昔は拝殿の長押にある大きな木の御太刀(上の写真)を持って
各戸を回っていたが、今は小さな御太刀で代用しているとも言う。
この地区には86軒があり、区長、代理、七つの班の班長など
10人の当番制で行事を維持運営しています。


縄の綯い方をしらない人が増えてきたなど話しながら作業が進みます。
これは大きな御太刀の代わりに各戸に回るときに持って行く御太刀です。
新しい注連縄で清められた御太刀です。
八時半 準備が終わりました。
皆さんに夏豆が勧められます。
お言葉に甘えて・・・・お神酒も少し・・・・大丈夫です。
今日は強い〜味方が付いています。
拝殿でお祓い 区長さんが行います。
今日の無事を願ってお神酒を頂戴
皆さん浄衣に着替え神事らしくなりました。
いよいよ出陣!!!
太鼓を先頭に御太刀、幣、お札・・・それぞれが続きます。
太鼓は御太刀が来たぞと知らせるものです。
天気ですから良かったですね。
一戸毎に玄関でお祓いをして護符をお渡しする。
その間御太刀は玄関でガードしています。
 
次々と回って行きます。 
巡回は予め回覧板で予定時刻を知らせているのだそうです。
それぞれ玄関で待ち構えておられる家が多いです。
悪霊怨霊許すまじとの構え
 
護符を見せてもらいました。
これは近くの「埴生神社」から頂いて来たものだそうです。

この神社は近郷三十余社の総鎮守です。
 
皆さん戴いた護符は神棚にお祭りするのだそうです。
 86軒が広い地域に分散しているので、歩く距離は相当なものです。
この地区は成田のニュータウンの近くです。

1968年(昭和43年)に始まった成田ニュータウンの
計画の当初にはこの地区も入るかどうか議論があったそうですが・・・
農家の人が多く反対が多く対象地域には入らなかったとのことです。
お陰で豊かな自然が残されました。
仕事場から急いで帰ってくる人もいます。
来たぞ来たぞと打ち鳴らします。
近道なのか・・・・このような道も
回覧板は大変なようです。急ぐときは電話だとか。
お昼までに30軒が終わり、休憩の後午後の部へ
地区の安全を護るこの御太刀は肩に重そうです。 
一行の足並みにもなにか自信のようなものが
感じられます。 
坊やには特別サービス
通りがかりの車にもお祓い・・・交通安全
笑顔と笑顔のテレパシー
この笑顔を見たくてやっているようにも思えます。

想定外護る雷神社の御太刀

全部を終わるのは夕方だろうとのことでしたので、
30軒を回った午後一時で取材は終了しました。

朝は誰もいなくてどうなるんだろうと不安だったのですが
時間が来れば、ごくごく当たり前のように人々が集まり

ごくごく当たり前のように仕事をして、大騒ぎするでもなく、
昔からこうだったんだと黙々回る。

今回の大災害で地域の助け合いが話題になっていますが
お祭りが盛んな所は地域活動が活発だということを

聞いたことがあります。
防災のために地域活動を活発にするのではなく

地域活動が活発な所は防災訓練もうまくいくということでしょう。

今般のようなお祭りとか行事は、
実は神様をうまく使った地域活動ではなかったのかと

思うようになりました。
やはり古人の知恵は深いなぁと思います。


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