野田のつく舞


平成23年7月15日(金曜日)から17日(日曜日)にかけて

 千葉県野田市野田にある須賀神社の夏の祭礼が行われました。

これは16日(土曜日)行われた「つく舞」という珍しい神事のメモです。

 
 千葉市から総武線船橋駅・東武野田線で野田市駅まで 一時間十分
 
 野田市はキッコーマン醤油で有名ですが、駅から出ると
すぐに工場が続き、大邸宅なども並んでいます。
 
 駅から約一キロ 下町の須賀神社へ到着。
よく見ると社に・・・・・
 
ブルーシートが掛けられています。
先般の大地震で破壊されたのです。
祭神が「すさのおのみこと」だけの事はあって、
ご祭礼にお囃子は元気な顔を見せてくれています。

 
先ほどの須賀神社から少し北へ上がったところに「仲町」があり
今年の当番の地区です。 
 
仲町の黒獅子です。今日は出番はありません。 
それでは会場の方へ行って見よう。
仲町の集会所からすぐ近くのキッコーマンの駐車場が「つく舞」の会場です。
この須賀神社の夏祭りは上町・仲町・下町の三地区の祭りで、
三日間の中の日に行われるのが「つく舞」です。

その起源は享和二年(1802)の夏、旱魃時の臨時雨乞祈願として行われ
文政元年(1818)から毎年行われるようになったということです。


国選択・県指定無形民俗文化財です。
つく舞はこの柱の上で行われます。
柱は杉の丸太で長さは14.5mあります。
先端に二斗樽を固定し、三尺下に横棒を取り付ける。
柱全体に白木綿を巻きつけ、三尺間隔で帯状に結び、

さらにそれを上から下へ縦に留結びにします。
横棒の先には白木綿と・・・・
馬の轡が取り付けられます。
なぜか分かりません。
午後四時過ぎ 関係者の記念撮影です。
右に見えるのはお囃子の山車で「底抜け山車」と呼ばれています(後述)。
この人が「つく舞」の演者です。
雨乞いなので雨蛙の面を被り、白装束です。

このひとは「ジュウジロウ」と呼ばれています。
その昔、山崎村大和田の重次郎という人が登ったという

伝承からその名が付いたとか。
今は岡田真吾さんで、平成12年からこの大役を務めているのだそうです。
午後5時過ぎ、当番の仲町から山車の巡行が始まります。
これが「底抜け山車」です。

大胴太鼓一つ、締太鼓五つが打ち鳴らされ、
後ろには野田津久舞保存会の指導による、

郷土芸能クラブの児童がにぎやかに津久囃子が続きます。
この山車には床がなく、奏者も歩きながら演奏します。
「底抜け」の所以です。
落語の駕籠でそんな話がありましたね。
午後7時過ぎ 会場へ戻って見ました。もう夜の雰囲気です。
「つく舞」は高所での曲芸なので演技が始まると

ストロボは使用禁止です。
以下本番の画像の見苦しいのはお許し下さい。
(この画像はストロボ撮影ですが)
午後7時半 一行の練りこみです。
底抜け山車もやってきました。
全員が揃いました。
一段と高らかに津久囃子が演奏されます。
ジュウジロウがつく柱に取り付きました。
手と足を白木綿の縄状のものに固定しながら・・・・・
体をスイングさせながらその反動で次の・・・・
支持点へ素早く移動する・・・・・・・
ぐいぐいと上がってゆきます。
ジュウジュロウは登る前にお神酒を吹き付けられ、
身を清めているのだそうです。

足袋にもお神酒を含ませて滑り止めしているのでしょうか。
足で柱にしがみ付いて下向きになったり・・・・
手で柱にしがみ付いて逆さになってずり落ちて、後ろに足を反らせる
・・・・はらはらさせます。
しばらく上下して登り始めます
先端に到着してこの面構え
扇子で扇いで見せます。
紐をたらして下から弓矢を引き上げ、
それを持って立ち上がり・・・・・
四方へ弓を放ちます。
これは悪魔を払い、五穀豊穣を祈願するものです。
この矢を拾うと幸運が来ると言われています。
 次は仰向けに乗り出して扇であおぐ。
 
 それが終わると・・・・逆立ちして・・・・
 
 足を揃え・・・・・
 
 開脚をして見せる・・・・息を呑みます。
 
 ややあって・・・・・
 
 下り綱に足を引っ掛けて下り始め・・・・
   
 途中で回転・・・何回も
 
 回転を止めて・・・また上へ戻ります。
 
 上に戻ると、いきなり滑空するように降りてきました。
 
 ぐあ〜と近づいてきました。
 
カメラが追いつきません。 
 
突入・・・・騒がしい・・・・
 
人の動きも激しい・・・・何かあったのか?
 
 安心安心・・・・ジュウジロウさんが無事に降りてきました。
 
 何も無かったようにすたすたと引き上げていきます。
 
 一行も安堵の顔色で引き上げていきます。
 
子どもたちも最後まで熱演でした。

つく舞の柱はスカイツリー並み

以上で僕の見たつく舞はおしまいです。

この神事はジュウジロウがいなければ出来ないもので
他所の神事のように年番でやるような神事ではないのがかなりユニークです。

それだけにジュウジロウの養成には時間を掛けているようです。
また子どもたちが沢山参加しているは頼もしいことだと拝見しました。

「つく舞」という名前の由来ですが、諸説あるそうですが
「つく」は柱であるという説、「みおつくし」という言葉は

「みお」は舟の通れる道、「つくし」は標(柱)だということからの謂い。

別説では「津の宮」の祭礼とする説、つまり柱は舟の帆柱だと言うのです。

また、つく舞の柱の横棒に付けてあった馬の轡の解釈は次のような説があります。
柱は「龍体」
、これを登ろうとする蛙を龍が食べようとするが

轡が邪魔になって食うことが出来なくて、悶える容姿を現しているというのです。
「龍が雲を呼び雨を降らす」と言う喩えがあるというのである。

それでは蛙は要らないではないかとなると・・・話がややこしい・・・
それではこの辺で


なお参考にさせていただいた資料は次の通りです。
有難うございました。

千葉県の歴史 民俗2 千葉県史料研究財団 H14.3.25
野田の夏祭りと津久舞 野田市郷土博物館  H20.10.18 
つく舞考         古谷津順郎著      H14.4
市報のだ(野田の文化遺産)             H23.7.1号

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