奈土のおびしゃ

平成23年2月13日(日)
 
成田市奈土(など)の磐裂(いわさく)神社で五穀豊穣・家内安全を祈願する
「奈土のおびしゃ」が行われました。

これはそのメモです。

 
 神事は午前8時から行われると聞いていたのですが、
前夜からの雪で道路の凍結が

予想されたので、出発を遅らせて10時スタート。
東関東自動車道大栄インターを出て一般道5キロ、11時ごろ到着。
この神社の由緒は掲載されたものがないので全然分かりませんが
古事記・日本書紀に伊耶那岐の涙、剣から磐裂・根裂神が化成したとか

書かれているそうで、このあたりと関係があるのかもしれません。 
 
神事は既に終り神社には誰もいませんでした。 
 
神社を下りた所で役員さんに会いました。
神事は10時過ぎに終ったそうです。

奉書に戸主の名前を書き竹ではさみ、それぞれの区の「御日記」を作り
水引で結んで「神の依り代」を作り、神主の御祓いを受けて

自分の区に持って帰ります。
左の人が右手に持っているのが「神の依り代」です。
 
 
午後から5区のかんぬし当番家で「座敷の儀」が行われます。
神社の幟が見えてきました。 
この地区は五十数軒あり、それが3区に分かれていて、
当番(かんぬし)は持ち回りです。

各区の中は年齢順に当番が決まっていて、これも持ち回りです。
一つの区には15〜16軒あるので、

約50年に一度ということになるのだそうです。
 
 当番の家に立てられている幟、一つは神社の幟。
もう一つは右にある幟、これに書かれている「明星尊天」は

よく分かりませんが、法華経では日天(太陽)・月天(月)・明星天(星・・金星)が
説かれているそうですので、大らかな神仏混淆時代の

産物かもしれませんね。
この神事の起源は未詳のようですが
明治26年以降の祭礼を記録した「鎮守祭礼記録簿」には

宝暦40年(1754)に拝殿と幟二本を奉納したという記述が見られるようです。
・・・とすれば250年位前ということでしょうか・・・。

座敷では準備が整っています。
床の間の前に四本の斎竹で結界を作り・・・・
中央の・・・
酒樽には戸主の名簿などが束ねられた「神の依り代」を飾り
その右には豆腐と里芋を串に差し、辛味噌を塗ったものを並べ
 
 左には「蓬莱山」だろうか、白米を盛った上に大根と人参と笹で作った鶴と
里芋で作った亀・・・それに梅一輪
 
 午後一時、名前を呼ばれた人々が「迎え膳」へ進む。
一種の受付のようなものだとか。

一献頂いて、神社のお札を貰って次の人に替わる。

全員が終ると・・・・
 
いよいよ「座敷の儀」(御対座=おついざ= とも言われる)が
始まり、八名の人が呼ばれて席に着く。
 
給仕人と呼ばれる子供達のお酌で・・・・
 恭しく頂く・・・・
 それを四杯・・・・
それが終ると・・・ 
盃を交換して・・・・
 更に四献〜〜〜〜
それが終ると次の組が同様に繰り返す。
 そして何組終っただろうか、最後に区長・組長・当番かんぬし・次期かんぬしなど
八人が行う。これを「神様の座」というとか。
 
 この時は謡いも入り、オビシャの当番引渡しが行われます。
ボクチャンも大役を果たしほっとしています。
 
午後2時半頃、奈土芸能保存会の面々が到着しました。
子供たちも大喜びです。
 
 
五区の獅子頭は雌だそうです。 
獅子は一人の人が入り、舞います。 
 
後ろの人は裾を持ち上げて絡まないようにしているのですが、
見ていてどうも気になりますね。
 
庭先から見える取入れが終った田園と幟と獅子・・・・
のどかな日本の原風景のようですね。
 
後半は衣装を脱いで、後ろに丸めて束ね・・・・
幣と鈴でだんだん激しくなってきました。
お囃子の太鼓や笛も最高潮・・・・
獅子の動きも軽快で日頃の鍛錬の賜物でしょう。
仄聞するに六区は今年は獅子舞はやらなかったとか・・・。
踊り終えて座敷に招き入れられます。
 いよいよ最後の新旧かんぬし当番の引き継ぎの儀式です。
当番の家から少し離れた所の三叉路へ向います。

「明星尊天」の幟を先頭に・・・・かんぬし当番、世話役
お囃子・・・と続きます。
三叉路に着くと茣蓙を広げて・・・席を作り・・・・
 
 新旧のかんぬし当番など座敷の儀で「神様の座」に座った面々が
向かい合って盃を交わします。
中央には「蓬莱山」や「腹合せの牡牝の生鮒」が飾られています。
盃のやり取りの手順・・・・・細かく決められています。
三献ずつ交わします。
 新かんぬし当番は「神の依り代」を後ろ襟に差し込まれています。
おびしゃが終るまでしゃべることは出来ません。
 
 新かんぬし当番の家へ帰り、直会を行い行事が終ります。
 
これを「三叉の座」というのだそうです。
これは新旧のかんぬし当番が後戻りできない

場所として三叉路が選ばれているとの言い伝えがあるそうです。
一連の神事が終ると村は元の静けさに戻りました。

午後三時過ぎでした。

早春譜かなでて二百五十年


今日の神事を拝見して、今後の日本の農業がどのようになって行くのか
考えさせられました。

国境を越えて横へ伸展して行く「国際化」と
人々の心の中に深く根を張っている「文化」とを

どのように折り合いを付けるのか?
縦の文化と横の文明・・・縦糸と横糸・・・右脳と左脳・・・

今盛んに議論されているTPPが答えを迫っていますが
イエスかノウだけでなく、バットの議論もあって

きめ細かい智恵で新たな瑞穂の国が
考えられないかと思います。



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