八月十六日
JR千葉駅を降りて |
徒歩10分、国道16号線にそってあります。 |
社殿 |
ご祭神は北辰妙見尊星王 (通称「妙見様」・・・北極星や北斗七星を崇める・・・)で、 もともと千葉城にあって、 千葉本家によってお祀りされていたが、 大治元年(1126)この地へ遷座されたものです。 |
その翌年大治2年から年に一度だけ、妙見様の御分霊を御神輿にのせて、 元の千葉城の麓までお渡り頂き、七日間だけお城の近くの市場町にある御仮屋に 滞在していただき、千葉本家とその一族、家臣団、 町民に至るまで妙見様の徳を頂くために始まったということです。 7日というのは北斗七星に因んだものです。 |
境内で御祓いがあった後、本殿で祭礼が始まります。 半被のマークはこの神社の神紋で「三光紋」と言われ 一番大きな外輪は「太陽」、右下は三日月で「月」、 右下の月を隠せば左上の小さな丸が「星」を表わします。 |
それが終ると拝殿内で御神輿が揉まれます。 |
このような例はほかに見られないそうです。 |
拝殿を出ると境内で揉み上げます。 |
よく見るとこの御神輿少しおかしいぞ・・・・・ そうだ鳳凰がない・・・ |
とまれ暫く境内で揉んで国道へ出る。 |
すぐ近くの香取神社へ・・・・・ |
なんとここに鳳凰がありました。 千葉の盆歌に ♪千葉の妙見様が稲穂咥えて羽ばたき♪ とあり、鳳凰が咥えている稲穂は 家内安全・豊作万作・商売繁盛のお守りです。 |
ここで御神輿を安置して奉幣 |
ここで鳳凰が恭しく取り付けられます。なぜこのようなことをするのか? 拝殿の中で揉むので鳳凰が傷つくのを防ぐためか・・・神官に確かめると |
香取神宮の敷地であった所へあとから千葉神社が遷座してきたのでいわば新参。 したがって香取神社へ敬意を表する意味でここまでは鳳凰をつけないできて、 香取神社へお断りしてから鳳凰を奉る・・・ということらしい。 ボクの想像のような唯物論的な発想ではなく、いたく恥じた次第。 |
舗装道路になっても夏雲は変らない。 |
町々で休息の際、大太鼓が打ち鳴らされます。 向かい合った四人がバットのような大きな撥で打ち鳴らします。 二段打ちという独特な打ち方で、出陣の触れ太鼓を起源とするとか。 |
千葉神社敬神婦人会のパレード |
三度下へ下ろし、ヤレヤレヤーで頭上へ差し上げる。 |
焼け付くような陽射しも豊作の予兆 |
大通りでは太鼓の競演 |
日頃の腕を・・・・・ |
力一杯 |
子供たちは猿田彦に興味津々 |
これくらいになると怖がりません。 |
ここでも突き破る勢いで乱打。 太鼓を稲穂と見立て、突き破られると稲穂が弾け飛ぶことを 意味し豊作と喜ぶ。現に何年かに一度破れるそうです。 |
不肖私めも挑戦しましたが、稲穂どころかこちらが弾き飛ばされました。 |
町は次第に夕暮れに・・・・ |
氏子は26町もあります。このお祭りは年番というのはなくて、 全町が当番というやり方です。 自分の町内は自分らが担ぐ・・・その中で 全体を補佐する「祭礼保存会」がうまく調整しているのでしょうね。 |
夜7時、御仮屋へ向けて・・・・ |
女性も元気一杯 |
ビルを背景に・・・・妙見様は何を考えているのだろうか。 |
御仮屋近くになって揉み方が激しくなりました。 |
御仮屋前で最後の差し上げ。 |
頭の音頭で手締め。 |
鳳凰を取り外し |
御神輿を御仮屋へ・・・・ |
御幣と守り刀で御神輿をお守り |
御神輿の長い一日が終わりました、午後7時半。 22日までここに鎮座まします。 |
町ではまだまだ終っていません。 |
色々なグループがお祭りを楽しんでいます。 これは外国人の一団。 |
まだまだ帰りたくない人々が散策です。 |
この後、最終日までには舞踊奉納などがありますが
殆んど行事はありません。
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