下総三山の七年祭り


磯出祭

磯出祭とは

・父君の二宮神社
・母君の子安神社
・子守の子守神社
・産婆の三大王神社
  四つの神輿が幕張の磯場(今は埋め立てられているので公園)に集まり、
満潮時に合わせて安産の祈祷を行うものです。

祭りは午前3時40分からということですが、
午前1時に行くともう人が集まっていました
午前1時50分 子守 子守神社の到着
この中に入れる人は限られた人だけです。
小雨のため重装備ですね。
 
 公園が竹矢来で囲まれていますが、四方に矢来の途切れているところが
狙い目です。早く着いた小生は良い場所に脚立を置けました。
 
 子守神社の入御
 
 練ることも無静かに・・・・
土塁の上に納められました。
次は父君 二宮神社
神輿の入御
これも静かに納められ・・・・
 神輿の前で記念撮影
 
母君 子安神社の入御
例の稚児さんがいるはずですがボクの視野からは見えません。
産婆 三大王神社の入御
子安神社と並んで収まりました。
これで四つの神輿の入御完了です。
午前3時15分
 
3時45分 消灯・・・・ここからは撮影禁止 
何が行われているのかわかりません。
神前には御餅や草草のお供えは見えます。
また産湯を使うと思われる木製の大きな盥・・・などが垣間見れます。
 話では満潮時に、例の稚児さん(両男女・・りょうとめ)がハマグリを交換して
安産を祈願すというのです。

この話を聞いて思い出すのは「産小屋(うぶごや)」です。
浜に作られたお産のための小屋です。
これの解釈はいろいろとあるようです。

血の穢れを避けるためとか、生命は海の向こうの常世から
来る(渡来人の古里憧憬)のでそこに少しでも近いところに。

また海がめが浜に上って産卵をして繁殖するが、その生命力にあやかる
ため(浦島神話もこの系譜)。

人が生まれるのは上げ潮時、死亡は引き潮時というように海と命は関連付けて
来られているのも、全て関係があるように思われます。


因みに産小屋に敷かれている砂はウブスナと言われていますが、
生まれた土地の守り神を「産土神(うぶすながみ)」というのも
合点がいきます。

 撮影禁止の間に
例の稚児さんは大人に背負われて会場から急いで出て行きました。


すると急に御神輿の近くにある榊のあたりで異変が・・・・
人々が榊に群がり、葉をむしっているのです。
安産のお守りなのです。
世話役の人が会場を回り・・・・
欲しい人にあげるのです。

行列の先導する提灯の短くなったローソクもお産が短くなると
お守りとして珍重されるのです。

お産がいかに大変なことだったかわかります。
午前4時 沢山の人が御神輿の出てくるところを待っています。
父君 二宮神社が退御
榊は骨だけになりました。
これからランデブーの場所へ急ぎます。
母君 子安神社の
退御
これもランデブーへ・・・・
近くの広い道路で父と母が・・・・・
向かい合います。
 
 お互いに揉み・さしを繰り返し・・・・・
 
 近づいていて・・・・・・
 
 また離れて・・
 
 お互いに揉み上げ・・・
 
衝突するのではないかと思うほど接近します。 
 
お互いに余韻を楽しむように 
 
 少しずつ離れて
 
 帰途に着きます。
 
 それではまた六年後に・・・
 
 名残を惜しみながら・・・磯出祭は終わりました。
 
 会場を出るとすぐに国道14号線、左手の歩道橋の向こうが会場でした。
・・・昔はこの道路まで海だったのです。

だからここで磯出祭を行うのです。
 
 かつては海だった所に今は人が住んでいます。
11月23日 午前5時・・・・・・・・・・・・・・町はまだ寝ています。

神様もお産は神様に祈る

これで僕の見た下総三山七年祭りは終わりです。
六年前にもこの祭りは取材しページに載せていますが
磯出祭まで見たのは初めてです。

色々なことを考えさせられました。

神社の重層的な繋がり、あたかも連邦制のようになっている。
狭い地域エゴにならないようにとの知恵であろうか。

古事記にもヤマサチビコが海神ワタツミの娘トヨタマヒメと
結ばれて、ヒメが子供を産む時に、ワニの姿になっているのを
見られて去っていくなどお産のことは度々現れています。

お産がいかに大変であったというだけに留まらず
列島の古来人とそこへ海の向こうからの渡来人との関わりを
暗示しているように思えるのです。
歴史的な尾てい骨があるように思えます。

最後まで見てくださり有難うございました。


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