合同祭の初日(9月10日土曜日)すばらしい天気です。 |
朝9時半 諏訪神社の境内ではお神輿の仕上げが急がれています。 |
仕上がりをマニュアルとチェック |
十時半 祭礼が始まりました。 |
十一時過ぎ 神主が厳かに御霊をお運びし・・・ |
お神輿への御霊入れが行われます。 |
諏訪神社には横渚の八雲神社が合祀されているので、 八雲神社の御輿にも御霊入れを行います。 |
午後1時、八雲神社の神輿から神幸します。 木遣りが歌われます。 |
高張提灯を先頭にして・・・・ |
力強く出てまいりました。 |
引き続き、諏訪神社の神輿です。 先ず木遣りです。 |
担ぎ上げる時は甚句になるというのですが、 素人には違いがよく分かりませんでした。 |
予備軍がしっかりしているようです。 |
御輿のあとをしっかりと見守って随行するベテラン いいねぇ 高倉健さんみたいです、 男の背中を感じます。 |
山王講 日枝神社 三層・人形上下・枠上下型 江戸時代に神田祭の山車として天下祭に参加し江戸城へ入り 徳川将軍の上覧を受けた山車 明治42年の購入 |
人形は恵比寿 文政13年(1830)雛屋久五郎作で 神田白壁町の山車に乗せられていたという。 大切に使うと長く使えるんですよね。 |
祇園講 八雲神社の舞台屋台 大唐破風屋根 1高欄1層 吹き抜け 前後に四本の竹を立て国旗を立てる。 |
太鼓のリズムが勢いを呼び・・・・ |
笛の音色が昔を忍ばせます。 |
ボクも引いてるよ。 |
街中を巡行する諏訪神社の山車 この山車の内容については前述しましたが、明治43年に神田から購入したもの 人形は神宮皇后(明日は源頼義) |
各神社の地区を巡行していた山車は午後四時半ごろから 鴨川中学校の校庭に集まり、 |
そこでお囃子や踊りを披露するのです。 ここにいれば全てが見られる暖かい計らいです。 |
横渚 八雲神社の山車 |
人形は神武天皇 |
八幡神社の舞台屋台 |
一生懸命に叩き続けます。 |
熊野神社の舞台山車です。黄色い声援が飛んでいます。 |
若い人が沢山参加していて活気に溢れています。 |
午後五時半、集まっていた山車が再び各地区へ戻って行きます。 |
お御輿の方は、それぞれの神社の地区を神幸しています。 これは3時半頃の白幡神社の御輿が加茂川沿いに神幸してます。 しばらく付いて行ってみましょう。 |
海で鍛えた喉は伊達じゃない。 |
木遣りや甚句を歌いながら揉んだり差し上げたり、 動きが激しいので、さしもの棒も撓るほどです。 |
鳳凰は稲穂を咥えていますがそれはどこでも同じです。 ここの鳳凰はもう一つ金属の輪が三つ繋がったものを咥えているのです。 よく見ると上から「大」「漁」そして一番の輪には横向きの魚が二匹 二の字のように並べて描いてありました。 五穀豊穣と大漁祈願ですね。 |
休憩の時に「おじさん(おじいさんかな?) ブログやってる」 と聞くからホームページはあるよというと ブログブログと連呼しながら集まってきてこの騒ぎです。 |
漁港に出ました。 |
御輿が到着してここでも勢いよく揉み続けます。 |
御輿を岸壁の近くに安置したら、代表が潮を汲みます・・・・ |
その潮で御輿を清めます。これを「潮汲み」と言っていました。 |
午後六時 暮れなずんできました。 こういう風景を見ると長生きできそうですね。 |
祭りは夜のバージョンに入ります。 海岸近くの祭典広場(マリーナ駐車場)へ 各自の地区を神幸してきた御輿や山車が集まってきます。 |
白幡神社 疲れも見せず・・・・ |
大浦 八雲神社の女御輿 |
この神社にはあの有名な「担ぎ屋台」がありますが、 そのほうは余りに激しいので男性ばかりで担ぎ その代わりに御輿の方は女性ばかりで 担ぐようにしたとのこと・・・それにしてもすごいね。 |
熊野神社の御輿 まだまだ元気です。 |
天まで届けと・・・・・・・・・・・・ |
どっちへ行くんだ・・・ |
この町には若い人が多いことと美人の多いのにはびっくりです。 彼女達がつけているのは「どんす」と言うものだそうです。 |
これが有名な「担ぎ屋台」です。 天保4年(1833)厳島神社の祭礼の折に披露されたのが最初と言われており |
「まき網船」を模したものです。屋台が船で担ぎ手は海、三本の担ぎ棒は波 笛や太鼓は漁民の喜怒哀楽を表すと言う。 |
太鼓一人、小太鼓二人笛吹き一人が乗り込み どんなに激しく揉まれようと決して演奏を 止めないと言う厳しさです。 自然と闘う姿勢を暗示しているのだろうか。 |
演奏の交代は担ぎながら行います。 このように屋台には底がないので演奏者は直ぐに飛び降りるのです。 |
屋台の重さは一トンあります。 担ぎ手は50人から60人必要です。 |
海の上での死闘を想像させるすさまじい形相です。 |
港の町にふさわしいこの逞しさが魅力ですね。 平成4年に市の無形民俗文化財に指定されたそうです。 |
夜も更けて提灯や人形が鮮やかに見えるようになりました。 |
子ども達も自分の仕事をきっちりとこなし、もう祭りの要員です。 こうやって世代を越え、地域を越えて硬い連携が出来るのでしょう。 |
お囃子は至る所から聞こえます。 |
十時過ぎ 広場の中央に集まり始め・・・・・ |
片隅に設けられた安置所へと・・・・ |
だんだんと近づき・・・・安置します。 |
夜十時半・・・・・初日が終わりました。 |
これで初日が終わりました。
僕の取材はこれでおしまいです。
合同祭と言う形は、地域をより広く・深く結びつける姿となって
発展しているように思われました。
それにしても若い人が多く参加しているのはとても力強く
日本の将来はこのような絆で築かれていくのだと実感しました。
なおこの祭りの取材に当たり
鴨川市の平嶋昭一様、東島 暉様に
大変お世話になりました。
またページ作成に当たり参考にした資料は次の通りです。
新版 鴨川町誌 | 鴨川市史編纂室 | H6・3 |
鴨川市史 通史編 | 鴨川市史編纂委員会 | H8・1 |
鴨川のあゆみ | 鴨川市史編纂委員会 | H10.3 |
図説 安房の歴史 | 天野 努監修 | H21・12 |
祭りだ!山車だ! | WEB |
皆様 有難うございました。
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