百万遍祈祷

平成22年3月6日 千葉県南房総市千倉町忽戸(こっと)にある
清龍山能蔵院において「百万遍祈祷」が行われました。

百万遍祈祷の起源は1331年頃(南北朝時代、楠正成河内赤坂に挙兵のころ)
都で伝染病が大流行したとき、後醍醐天皇が知恩寺に命じて

「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏」と百万遍祈祷したところ
たちまち伝染病が治まったといわれ、それから各地で

災難、伝染病が起こると百万遍祈祷が行われるようになったそうです。

それがこのお寺で行われているのです。

 千葉市から舘山高速道にて富浦IC 86km 1時間余
 後 一般道18km 40分 合計104km 1時間40分

能蔵院の案内表示が見えた。
 
 少し入ると山裾にお寺の屋根が見えてきました。
朝六時半着
 
 往古開基開山の儀、異説にて真相分かり申さず・・・の書き出しで始まる
由緒書のよれば天文20年(1551)宗栄法印が

他所より引き移り再建したとの事
その後六世栄智法印が正徳五年(1715)大破により

再建造立とのことである。
したがってこの本堂は295年経っているわけです。
(改修修理はあったそうですが)
 
 7時半頃、集落の世話役の人々が集まってきました。
 
 集落には190世帯、これが8っの班に分かれており、
年番で世話役を担当するのだそうです。
 
 受付の準備です。
 
 これが百万遍祈祷の道具です。

黒く、長くみえるものは数珠(7〜8m位)
鐘は一回まわすごとに叩く。

四角な箱のように見えるものは、数取りの道具で、
小さな木片が十枚・五列並べてあります。

数珠を一回すごとに木片を一つ倒してカウントする仕組みです。

右の下方にある房のようなものは、数珠を回すときに

これがきたら、自分の病んで居るところに擦り付けて
南無阿弥陀仏を唱えて祈るのである。
 
 三々五々皆さんが集まってきました。
 先ず受付です。
その名簿を見せてもらって仰天したのは、

名簿は氏名ではなく「屋号」で載っているのです。
そして今住んでいる人 男何名女何名と申告し、

一人当たり50円を納めます。
 
 申告が終るとお酒を頂きます。
 
この名簿は「人別帳」と呼ばれています。
江戸時代戸籍簿は寺院が管理していたと聞いたことがあります。
(うろ覚えですが)


「人別帳」を歴史としてではなく、現実のものとして聞くのは
新鮮な感じです。
 
 美味美味!!!
 
 適当に人数が集まると・・・車座になり・・・・
 
 痛いところに房を擦り付けます。
 
 何回かまわすと順次入れ替わって・・・・
 
 四角の箱の数取りをカチャリを倒して、鐘をカン・・・・・
 
南無阿弥陀仏・・・・・
 
 大切なコミュニケーションの場でもあるようです。
 
 次から次へと集落の人々が集まってきます。
 
 集まった人が輪に加わり、数珠が回されます。
 
 メンバーが順次入れ替わりながら数珠は止まることはありません。
 
 賑やかに大きな数珠が回されます。
 
 野良猫までやってきました。
 
 猫も南無阿弥陀仏!!!!
 
遂に座り心地のいいとろろを探し当てたようです。
 
 能蔵院の扁額の元にもう何年やっているのだろうか?
 
 午前十時過ぎ、大体終ったようです。

人別帳の総人数は519人(男249・女270)
八十歳台(男20・女29人)九十歳台(男3・女8)ということでした。


この人数はこの集落に住んでいる人の数で
今日の祈祷に参加した人は、一戸に一人で約100人位でしょうか。
 
 それが終ると祈祷です。
 
 皆さん神妙に勢揃
 
星和尚による護摩厳修が始まりました。 
 
燃え盛る護摩の炎に色々なものをかざします。
これは・・・・ 
 
 「辻札」です
 
 この札は集落の入り口に建て、悪疫退散・無病息災を防ぎ集落を守るものです。
 
 かざされている袋の中には・・・・
 
 これが入っています。これは「百万遍札」といわれ、
各戸の入り口に掲げ、悪疫の侵入を防ぐものです。

これは各家で歴代使われており、古びてくると鉋を掛けて
きれいにして書き直し繰り返し使います。
 
 全てが終り星和尚から・・・チリ地震を例に引きながら
広い意味の「揺れ」の中でいかに安定を求めるか
と含蓄のある法話。
 
 祈祷が終り皆さんの会食が始まります。
 
 この寺院は築後295年、今建替えの準備がすすんでいます。
竣工は来年の秋とのこと、今はデフレで建替えるには

絶好の時とのこと、矢張り百年のオーダーでものを考える人の
言葉は違うなぁと感服した次第。

仏様から見れば今の混迷などよくあることぞ・・・
かもしれませんね・・・。

素晴らしい寺院のイメージを描きながら帰途に着きました。


人の輪の百万遍が守る村

これで今年の百万遍祈祷は終わりました。

この法要は数珠というツールで上手く人々を
一つに繋いでいるように思いました。

この数珠は心の数珠であり、皆でコミュニティを守るという
基本的な問題を考えさせてくれました。


なおこの千倉町に関するボクのページには下記のものがあります。

白間津の大祭

包丁式奉納

柴燈護摩修行・火渡行

千倉の三番叟


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