愈々始まりました。 そもそもこの地は天保水滸伝の飯岡助五郎と笹岡繁蔵が 死闘(天保15年・・1844)を繰り返した利根川に近いところです。 |
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飯岡助五郎の縄張りの飯岡(旭市下永井 飯岡漁港)は この地から東北へ12kmくらいです。 |
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飯岡助五郎は博徒であり、且つ十手を預かる二足のわらじです。 だからお祭りにかこつけて賭場を開くなどは お手のもだったのではないかという話でした。 今は賭博ではなく今年の作柄などの「年占い」に昇華されています。 |
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役員や新旧の当番が二組に分かれて丁半を賭け合います。 双方相整ったところで・・・・入ります。 |
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三・六の半・・・・・ | |
半は浜大漁・商売繁盛・・・です。その結果に皆さん拍手です。 (参考に・・・丁の場合は豊年満作・家内安全・里内安全と いうことになっています。) なお掛け金は全て没収し会費に当てるのだそうです。(乞うご安心) |
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それが終ると新旧の引き継ぎです。 先ず今年の当番が来年の当番へ酒を勧めます。 |
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次に来年の当番から今年の当番へ注がれます。 | |
来年の当番が引き継ぐものを確かめています。 掛け軸、つぼ、サイコロ、稲穂など |
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引継ぎが無事に終り・・・・・ | |
ご苦労様でした。 | |
休む暇もなく後片付けです。 | |
十一時には全て終り元の静けさに戻りました。 |
丁で良し半でまた良し星の宮
これでサイコロの年占いはお終いです。
天保水滸伝などどこかのお話だくらいに思っていましたが
本当にあった話なのですね。
でもサイコロを年占いに昇華させて和やかな神事に
しているのはさすが長年の知恵ですね。
感心しました。
ところで、博徒と十手の兼務など考えられないことですが
社会の安定のための知恵だったのでしょうか。
それとも単なる癒着なのでしょうか?
ただ社会の中には色々な人が居る事も事実。
それぞれを社会の枠の中で共存する方法が
必要なことは現代でも同じだと思います。
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