人見神社 神馬(おめし)

平成23年7月23日(土曜日) 

千葉県君津市人見の人見神社で指定無形民俗文化財の
神馬(おめし)神事が行われました。

そのメモをお届けします。


君津市は千葉市から東南50kmの位置にあり、昭和40年(1965)に
操業開始した新日本製鉄 君津製鉄所で有名です。



電車で千葉から内房線で一時間、君津駅より一駅南下 青堀駅下車
徒歩20分 市内を抜けて小糸川まで来ると前方に小山が
見えてきました。これが人見山らしいです。

この山は昔から漁師から海の目標である「アテ」(目当ての意味か)
として知られていたとのこと。祭りの幟が見えてきました。
大きな幟がはためいていました。
幟に書いてある「獅山」は「シザン」と読み、

遠くから見ると獅子がうずくまっているように
見えるので付けられた名前だそうです。
鳥居をくぐるとこのような階段が三百数十段あるそうです。
頂上に登るとすばらしい展望です。
山頂には三角点がありました。
向こうに見えるのは新日本製鉄 君津製鉄所です。
さて、お祭りの当日 八時過ぎから準備が始まりました。
この神社は平将門の乱の後、平忠頼が上総介に任ぜられ、
天慶3年(940)に尊崇する妙見を鎌倉からこの地に

勧請したと言われています。
その後千葉一族が守護神として祭り、鎌倉期に

頼朝が立ち寄り、源氏再興を祈願したとの伝説もあるようです。


地元人見に社家(しゃけ)と呼ばれる家が五軒あり、
世襲制でこの神社の神事を取り仕切っているのだそうです。
八時半 麓では神馬(おめし)が到着しました。
昔は農耕馬が多くおり、また選ばれることは随分名誉なことであったので

奉納の希望者が多く、祭り支配人による選定が行われたようですが
いまは乗馬クラブの馬を借りるのだそうです。
神馬の飾り付けが行われます。革の肌敷きの上に
保科家(昔のこの地域の領主か)から奉納された鞍を置きます。
鞍にある紋は妙見様の紋です。
先ほど触れた五軒の社家の人達はキュウリは

絶対に輪切りにはしないというのです。
キュウリを輪切りにすると切り口の面がこの紋のように見えますよね。

そうすると紋を食べるような形になるので
輪切りにしないで、縦に切って食べるのだそうです。
さてさて神馬が出来上がりました。
因みに馬の名前は「ニイジー」 8歳のオスです。
九時半 神馬の垢離(こり)取り式が始まります。
これは神馬を小糸川まで連れて行き川の水で清める儀式です。


塩花で清めた道を先導に引かれて神馬が進みます。
小糸川の畔で神馬の足を清めています。
清塩を持った先導と神馬の鼻竿を持つ人、馬の口取りが進みます。
大鳥居と垢離取り場の間を3往復して、儀式は終わります。
十人ほどの若者が「お振り(おぶり)」を持って近づいてきます。

お振りとはは長さ十二尺で十二の節のある太い竹を二本合わせて結束して
中央に鯛を二尾腹合わせに吊るしてあるもので、奉納されるものです。
この竹の十二節は十二ヶ月を意味しているようです。
威勢のいい掛け声と共に階段を駆け上がった行きました。
次は愈々神馬です。神馬の方は「鼻竿」(十二尺・十二節)です。
神馬を先導する感じです。
二人の口取りに励まされ神馬が急な階段を一気に上ります。
壮観です。
この神事の起源は詳らかではないそうですが、
この地区の一つ飯野の領主であった

保科の殿様が大阪夏の陣(1615)に出陣し、
身に三瘡を受けながら手柄をたて無事に

引き揚げてきた姿を、そのままこの鎮守妙見社に
奉納したことに始まるというのです。

他にも説があるようですが、計算どおりだとすると
四百年近い伝統ある神事のようです。
一方拝殿の方は床に畳表を敷き詰めて神馬の奉納を待ち受けています。
 
 拝殿に吊るされた鈴が後で出番があるので紹介しておきます。
十時過ぎ、社殿の隣にある観音堂の前でお囃子が賑やかに始まりました。
そこへお振りの連中が元気よく到着しました。
逡巡することなく一気に拝殿へ走りこみます。
拝殿の中でぐるりと一回廻って・・・・・・
出ると先ほどの鈴の緒によじ登り・・・・・・
それを外して歓声を上げています。
それを掴んで皆と一緒に社殿の周りを回ります。

この辺りの故事来歴は分かりません。
そして愈々神馬の登場です。
鼻竿を先頭に拝殿へ入ってきました。
東回りに廻ります。
狭い拝殿内を如何にスムーズに廻すかが鼻竿の腕の見せ所です。
滞りなく廻れた年は豊作になるといわれています。
無事に廻り終えたので今年も豊年満作です。
出ると今度社殿を西回りに廻ります。
鈴の連中はまだ廻っています。
神馬は境内の清められた場所で御幣を授けられます。
無事に神馬の奉納が終わり、まづはおめでとうのお神酒です。
十時半です。
 
山頂の神社で神馬奉納が終わったころ、
鳥居の前には大変な人だかりです。 
十一時、餅投げが始まりました。
お祓いを受けて・・・・
いざ・・
 掛け声と指図の声が飛び交い
 一段ずつ登っていきます。
それっ鳥居はすぐそこだ・・
 鳥居を潜ったところで、高みからお祓いを受けます。
三百数十段もある階段を登るわけにはいきませんのでここまでです。
 せめてもとここで大揉みに揉みます。
静かにか階段を下りて
これから旧17か村への巡行です。
山車も準備万端・・・
子どもたちも
 
元気一杯
わっしょいわっしょい・・・黄色い声も混じっています。
小糸川沿いに進んでいきます。
豊年満作・・・・家内安全
 
ここも お供えは鯛二尾、腹合わせです。
 
まだまだ若いもんには負けないと・・・・
 
次の世代が育っています。心丈夫な限りですね。
 
 小糸川を渡って・・・・
 
 街中に戻ってきました。
 
 特等席です。
 
 ボクも何か役に立ちたいのですが
 お神輿の休息所では供え物が作られています。
 
 「八重なりおこわ」という特殊神饌です。
八重なりとは緑豆と言われるもので、

マメ科の植物だそうです。
頂いてみると殆どエンドウ豆の味でした(つぶは小さいです)。
 
君津市漁業資料館の前の広場が休憩場所です。
ここでも神馬の出番です。
道に塩をを撒いて清め・・・・
 
 
 御幣を背に付けた神馬が鼻竿と口取りに引かれて参上
 
 近づくと結構な鼻息です。
 
 三回廻って・・・・・これで神馬の仕事は終わりです。
 
ニージー君へお疲れさん・・・
こんなに馬に近づいたのは初めてでした。
 
 
 午後一時半 しばらく休息して
その後は残りの地区を巡行するとのこと。
 
 それではこの辺で失礼しようか・・・・

神馬行く幾星霜の時を超え

これで私のメモはお仕舞いです。
世界的にも有名な鉄の街でこのような神事が

続けられていることに感心しました。
企業の進出で従来の経済活動は変わった

事と思いますが、311以来見直されている「絆」が
ここでは続けられていることに敬意を表したいです。

なおこのページを作成に当たり関係者の皆様や
下記の参考資料の著者編者に感謝いたします。

君津町史後編 君津町誌編纂 昭和48年9月20日
君津市史 民俗編 君津市史編纂委員会 平成10年3月31日
房総の祭り  中嶋清一著  昭和63年2月1日

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