関所の門の外から、「頼もう・・・」の声、どうーれ何用かと応じ・・・・ 通過の願いを聞き使者に開門 |
一歩一歩身体を右左に振り、すり足で近づく・・・・ |
使者の姿も凛々しく |
若衆も緊張気味 |
ところが出てきたのは東海道五十三次の名宝 相州小田原 虎屋のウイロウ丸の披露 |
歌舞音曲で賑々しく・・・・ |
販売・・・・どういう意味か脈絡が分かりませんが・・・・・ |
次に現れたのは・・・・ |
懐に「上」は通行手形であろうか? |
例により関所へ通過の許可を願い出る・・・・ |
現れたのは「雲助」、殿の荷物運びです。 倶利伽羅紋々の雲助が歌いながらやってくる・・・・ |
アー ホイナホイナ 銚子街道で(なんとか)がつるんで 雪隠壊して 旦那の迷惑 大工喜ぶ 左官喜ぶ お金になるから ナアコレ兄弟オーソレソーダヨ |
雲助さんはただじゃできない 素面じゃなお出来ない ナーソレ兄弟 オーソレソーダヨ ホイナホイナ 雲助さんには女房があるかい あるにはあっても兄貴の女房だ ああどうにもなんねえ ナーソレ兄弟 ソーソレソーダヨ |
(なんとか)ささえは 同じに絡まる 絡まるはずだよ 男がいいから 白壁土蔵にぼっちりこうもり 止まったところを 見たなら兄弟 我慢は出来ない どうだい兄弟 オーソレソーダヨ (分かったような分からないような歌詞ですネ) |
最後にはお守りのようなものを販売・・・・・ |
なんといっても圧巻は大名行列です。 三十万石クラスの行列を想定しているが、 そうなると1400人位のお供が必要すが、 此の祭りでは160人で行うのだそうです。 |
先頭の集団にも気迫が感じられます。 |
関所に言上の使者 |
通過の許可を貰い・・・・旗持ちを先頭に出立 |
4歳の坊やは弓隊です。 |
笠が落ちそうなんだけど〜 |
鉄砲隊 人差し指を立てて「シィー シィー」と言っています。 係の人に聞くと「下に下に」の意味だそうです。 |
先箱、毛槍、傘などを持った中間が進む。 |
道具箱は25kgくらいあります。 |
此の毛槍は長さ3.4m 重さ8kgあります。 これを・・・・下のスライドをクリックしてください。 毛槍投げのスライド |
威嚇するように四方に突き上げます。 |
徒歩の武者達 |
本当にこんなお侍さんがいたような気がしますね。 |
草履取りが見せる妙技 下のスライドをご覧下さい。風があると流されて難しいのだそうです。 草履投げのスライド |
傘持ちも黙ってはいません。 傘投げのスライド |
幼いながら威風堂々殿様の通過 |
その後、勘定奉行が現れる。 |
褌で顔を拭かせたり・・・・ |
尿瓶から酒を注いだり・・・・ |
勘定奉行と足軽との掛け合いに観客も・・・・ |
・・・・・大喜びで・・・・スター並みです。 |
午後五時 少し天候がおかしくなりました。 |
まだ出し物はあるようですが、切り上げることとしました。 |
二十年先物買った神幸祭
これで僕の見た大神幸祭はお終いです。
此の祭りは、康和4年(1102)から天永元年(1110)までは毎年開催で第9回まで。
その後は20年ごとに変更されてから45回、通算54回となります。
因みに明治で3回、昭和で3回(5年、25年、45年)平成は2年と今回で2回目です。
例えば昭和5年から25年までをみると、此の20年間には
満洲事変・日華戦争・太平洋戦争・原爆・敗戦がありました。
20年は長いようですが、一国を滅ぼすにも充分な時間なのです。
20年とはそんなスパンなのです。
こうしてみると此の祭りの凄さが分かります。
目先の事に右往左往しないで、どっしりとした歴史の目でものを見よと
言われてるように思います。
それにしても今の政治のふわふわ感には参りますが
その中でもしっかりとした歴史の目で見ようと自戒しています。
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