安馬谷八幡神社の御神的

(あんばや はちまんじんじゃ の おまと)





































平成23年3月3日 
千葉県南房総市安馬谷(あんばや)八幡神社で御神的(おまと)神事が行われました。

五穀豊穣を祈る古来の伝承行事で、南房総市の無形文化財に指定されています。

安馬谷(あんばや)というやや奇妙な地名は、承久2年(1220)頃から、
千倉(この地から4km南)の下立松原神社の神事に「鞍馬」を差し出した

ことに由来しているそうです。

千葉から舘山自動車道で南下100km、約二時間 
田圃の中に鳥居が見えます。 
こんもりとした森があり、そこが八幡神社でした。
935年頃、源順が編集したと言われる「和名抄」に
記されている「大瀦郷(おおぬまごう)」は

現在の安馬谷とこの周辺地域のことで、
八幡神社はその郷社であったそうです。
道路から切り立ったような階段です。
階段から振り返るとその高さがわかります。
朝九時過ぎ、神殿の飾りつけや舞台装置が出来たようです。
 
 この神社の氏子は二百軒ほどで、
この神事は八人の当番が二年交代で持ち回りだそうです。
 
 朝10時半 祈年祭が始まりました。
御祓いを受け・・・
玉串奉奠
十一時 祭礼は終わりました。
「御神的」神事は源頼朝が天下泰平を祈願して流鏑馬を行ったことから
この神社も奉納するようになったそうです。

昔は馬上から三つの的を射ましたが、
ある年に矢が誤って見物人に当り大怪我をした事から

境内で歩射になったそうです。
毎年3月3日の五穀豊穣祈年祭に行われています。


的は新しい女竹で六尺角の井桁を編んで、
白紙を張り中央に一尺一寸の黒丸を描き

その外側に五尺五寸間隔で白と黒の輪を交互に描く。
 
弓は昔は「重藤の弓」を使用しましたが、現在は
新しい真竹で作り、矢は矢竹を用いて鷹羽根を付けるのだそうです。

宮司修祓
的から15メートル位離れた所から狙います。
射手は鈴木区長代理
奉射する矢の数は9九本ですが、これが3本ずつ3つに分けられます。
最初の三本は「早生(わせ)」、次が「中生(なかて)」、

最後が「晩生(おくて)」で、それぞれの作柄を占います。

まず「早生」
きりきりと引き・・・・・・・・・・・・・
 ひょうと放ちます。
 
 中心の黒丸に当れば「九分作」、
離れるにしたがって八分、七分、六分、五分と

下がっていきます。この作柄はいいようです。
 次は「中生」
射手の眼光も鋭く・・・・
那須与一かと・・・
見事な腕前です。
 立会い人も緊張の面持ち
 
 最後の「晩生」
 
 これもいいところに当っているようです。
三本を射る度に当った場所を確認して記録します。
 
 的の裏側を見るとこの通り貫通しています。
弓道に用いる本当の矢です。
 
 鈴木さんも大任を果たし、那須与一の心境でしょう。
 
 宮司さんはじめ役員の皆さん! ご苦労様でした。
 
 記録係は早生・中生・晩生それぞれの矢の的中場所を図に書き込み、
三本の平均を出して判定します。
 
 こうして作物の豊凶や天候の情況を占った御神的の結果表は
神前に供えられた後、全区民へ知らされ作付けする品種や田植え時期等を

判断するに際して参考にすると言われています。
 
天候もよく全てが無事に終りほっとした空気が流れています。
12時からの直会で全てが終わります。
 
 帰り道、鎮守の森を振り返ると、房総はもう春です。

豊作へ届け与一の鷹の羽根

以上で僕の見た「御神的」神事は終りです。
天候もよく暖かく、本当に豊作は間違いないと思われました。

伝承行事が粛々と行われているこの静かな田園が
今後どうなって行くのだろうかと考えさせられます。

政治はその日暮らし、海外の圧力、高齢化社会・・・・
農業は単に食料の生産手段だけではなく、国土という自然を

維持している面もあるのだから、
複眼的な対策が要るのではないだろうか。


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